アシュケナージ 2
アシュケナージは1937年7月6日に、モスクワの東方約
250マイルにあるヴォルガ河畔の町ゴールキに生まれました。
父親はダヴッドでユダヤ人、母親はエヴストリアで生粋の
モスクワっ子だそうです。アシュケナージという苗字は、父親
がユダヤ系であることを意味するんですね。
アシュケナージが幼い頃父親を亡くし、伯父のミカエルに
引き取られることになりました。伯父さんはバリバリの赤
だったようで...
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1987年に、長年アシュケナージのマネージャーとして彼を
支えてきたジャスパー・パロット氏が、アシュケナージの
生い立ち、ロシアでの音楽学校時代、奥さんとの出会いと
結婚、出産、亡命にいたる経緯を詳細に綴った本を出版
しました。
「アシュケナージ 自由への旅」(音楽之友社)ですが、残念
ながら絶版になっているので、図書館か古本屋さんに行くしか
なさそうです。私は東京神田神保町の古本街で見つけました。
音楽関係の書籍ばかりを扱っているお店もあるので、興味の
ある方は訪ねてみては如何でしょうか。
アシュケナージの半生記ともいえる本ですが、同時にソ連時代の
ロシアの実態の暴露でもあるのです。その意味では、ショスタ
コーヴィチの証言に似ているところもあるかも知れません。
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