アシュケナージの才能
後にアシュケナージは、この父親のピアノの才能について「自分に
は
あんな即興演奏は絶対に無理」といっているように、職人としての
ピアニストの才能を高く評価しているようでした。
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母方の祖母はポーランド支配時代、ワルシャワ駐屯軍の軍楽隊で
ヴァイオリンを弾いたが、除隊後はヴォルガ地方の小村で教会合唱
隊長に赴任しています。アシュケナージの絶対音感は、この祖父か
ら
受け継いだようです。祖父は終生音楽で身を立てたのに、子供たち
は
だれも音楽の道には進みませんでした。アシュケナージの母親は
ゴールキの技能学校で演劇を専攻していたんですが、未来の夫であ
る
ダビッドとは、エストラーダの演奏会で出会うんです。
こうしてみると、両親ともに音楽に関わる家系で、アシュケナージ
が
音楽家の道を目指すのも自然の成り行きだったかも知れません。
「自由への旅」の中で、アシュケナージの父親は演奏旅行で各地を
飛び回り、めったに家にはいないという、半ば放浪生活のような
自由気ままな生き方をしていたらしく、専業主婦だった母親は、夫
不在の家庭生活で、息子に盲目的に愛情を注いだと書かれています
。
息子に音楽的才能の片鱗を見るや、その才を伸ばすために全エネル
ギー
を注ぎ込んだようです。
クラシック音楽の格式に欠ける(という表現をしています)ダビッド
は、
夫の仕事を見下し気味の妻と、才能ある息子に対してコンプレック
ス
を持っていたとも書いてあります。
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